【走歩記340】四万十川ウルトラマラソン2023

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 日本最後の清流と言われる四万十川流域の風景を堪能した一日でした。

 2023年10月15日、高知県で行われた四万十川ウルトラマラソンに参加しました。

 4年ぶりの開催となった四万十川ウルトラマラソンはまだ真っ暗な午前5時30分にレースがスタート。

 私は号砲から1分30秒後にスタートラインを超え、コースへと飛び出していきました。

 序盤は上り坂が続きます。

  20km過ぎの峠の頂上まで標高差600mを登るコースで、特に20km手前からは勾配がきつくなります。

 この大会はサポート体制が充実していて、給水所は多く、コース上には一定間隔でボランティアの方が立っていて、安心して走ることができます。

 こんなにも多くの方が大会を支えてくれているのかと思うと、感謝しかありません。

 20kmの通過が2時間30分。

 完走するための設定タイムは20km通過が2時間10分、遅くても2時間20分以内には通過したいと思っていたので、早くも予定より大幅に遅れています。

 それでも、まだまだ元気なので、ここから先の頑張り次第だと思い、20km過ぎからの下り坂を集中して走ります。

 左足の付け根が痛み、時折バランスを崩しそうになります。

 それでも、できるだけ左足に体重を乗せないようにしながら30km付近までの急こう配の下り坂を一生懸命走ります。

 20km~30kmを1キロ6分半くらいのペースで走りました。

 この区間は1キロ5分半で走れると想定していましたが、思ったほどペースが上がりませんでした。

 30kmを過ぎ、四万十川の雄大な景色を眺めながら、黙々と走ります。

 コース上にはところどころ仮設トイレが設置されていますが、どのトイレも列ができていて、トイレタイムは大きなロスとなり、制限時間ギリギリで走るランナーにとってはこの時間も考慮に入れておく必要があります。

 一昔前は、ランナーが道端で用を足す光景は珍しくありませんでしたが、今はトイレマナーを厳しく守ることが求められ、ルールを破ると失格になることもあります。

 ましてや日本最後の清流と呼ばれる四万十川ですから、どのランナーもロスタイムを受け入れて粛々とトイレの列に並んでいます。

 38km過ぎでトイレにいった時、列の長さを見て、待ち時間は3~4分とみて並んだのですが、実際には10分のロスタイムとなりました。

 トイレ待ちのロスタイムがあとで大きく響くことになりましたが、これもレースのうちなので、それを含めてレースの組み立てを考える必要があります。

 今後は、最初からトイレ待ちタイムを考慮してペースを設定しようと思います。

 これまで数多くの大会に出ていますが、給水所で立ち止まることなく進み続けるスタイルを通していました。

 いつも制限時間ギリギリで走っている私は、給水所でのタイムロスを最小限にすることで完走を目指してきました。

 スタート前には水を飲むので、トイレには行きたくなりますが、前半に1回トイレにいくくらいで、後半は全くトイレに行かないということも多かったのですが、最近は、トイレに行く回数が増えていて、今回は3回トイレに行きました。

 そんなこともありながら、40km地点を4時間57分で通過します。

 徐々にペースが落ちていきますが、なんとか1キロ8分くらいのペースで走り続けます。

 50km地点の通過は6時間20分。

 これまで50km地点の通過タイムが6時間を超えて完走したことはないので、かなり厳しい状況ではありますが、先のことは考えず、とにかく前に進むつづけることだけを考えます。

 55km地点に半家の沈下橋があります。

 四万十川と言えば沈下橋、特に半家の沈下橋は四万十川ウルトラマラソンのハイライトともいえる場所です。

 どんなに調子が悪かったとしても、半家の沈下橋を走らずに帰るわけにはいかないと思っていただけに、最低限の目標は達成できて一安心です。

 とはいえ、目標はあくまで完走。

 55kmからの急こう配の上り坂をゆっくりながらもなんとか走り続けます。

 60kmの通過は7時間48分。

 50km~60kmの10kmのタイムが1時間28分で、ほぼ1キロ9分のペースなので、走っているのか歩いているのかわからないようなペースで進んでいます。

 序盤から痛んでいる左足付け根の痛みはさらに増し、左足をかばいながら走ってきたので、右の太ももが攣りそうになっています。

 61.4kmのカヌー館のレストステーションに到着。

 ここでは預けていた荷物を受け取ることができます。

 これまでは後半に入ると食べ物を胃が受け付けなくなていたのですが、今回はそのようなことをなく、レストステーションではカステラをおいしくいただきます。

 後半に内臓をやられるのは、内臓が揺れることによるダメージが原因かもしれないと考え、腹筋をしっかり鍛えることを意識してきたので、その効果なのかもしれません。

 レストステーションを出発すると、なんとか制限時間内に走り切るために、1キロ8分以上のペースを維持しようと、痛む足に鞭打って走り続けます。

 しかし、65kmを過ぎてから、足に力が入らなくなってきます。

 68kmのエイドでついに足が止まります。

 日中の一番暑い時間帯で直射日光を浴びながらの走りだったこともあり、体力を消耗し、スタミナが足の不調をカバーしきれなくなっていました。

 エイドにあった椅子に腰かけてしばらく休憩し、足を引きずるように再スタート。

 70km手前の岩間沈下橋で14時間のペースランナーに抜き去られ、全くついていくことができません。

 ゴールの制限時間が14時間なので、14時間のペースランナーに抜かれるということは、完走の可能性が遠ざかることを意味します。

 それでも、まだ挽回のチャンスはあると信じて、必死で前に進みますが、足が激しく痛み、力が入らず、道端に座り込みます。

 このまま座り込んでいても、時間が過ぎていくばかりなので、足をマッサージし、ヨタヨタと立ち上がり、歩き始めます。

 70kmの通過が約10時間。

 71.3km地点の関門閉鎖時刻が迫ります。

  関門閉鎖時刻は10時間10分です。

 せめて80kmまでは行きたいけれども、関門を超えることはほぼ絶望的な状況で、「70kmで終わってしまうのかな、残念だな」という気持ちになりながらも、最後まであきらめる気持ちだけは持たず、とにかく行けるところまで行くんだということだけを考えてひたすら進み続けます。

 関門手前の橋は強い向かい風が吹き、行く手を阻みます。

 関門が見えた時、沿道にいたカメラマンの方が、「残り1分、頑張って走れば間に合う」と声をかけてくださり、気力を振り絞ってペースを上げます。

 71.3kmの関門通過時刻は10時間9分30秒、関門閉鎖まで残り30秒でのギリギリのタイムでした。

 関門のエイドでクリームパンを戴き、水で流し込んで先を急ぎます。

 自分より後ろを走っていた人たちがどうなったかを気にする余裕もなく、次の関門に向かって進みます。

 関門に間に合わせるためのダッシュで力を使い、関門のエイドを出てから走ることができません。

 次の関門まで8km、残り時間は60分で、1キロ7分程度で走らないと間に合わないのですが、思うように足が動きません。

 それでも、行ける所まで行こうと、足を引きずりながら歩いているうちに少し足の状態が回復し、再び走り始めます。

 次の関門に間に合う可能性はほぼ0なのですが、関門閉鎖時刻になるまではなんとか粘ろうと、必死で走ります。

 ペースを上げて前を行くランナーを次々と抜いていきます。

 ウルトラマラソンというのは、足が全く動かない状態になっても、復活することがあります。

 70kmの手前では、全く足が動かなくなっていましたが、70kmを過ぎて再びペースを上げることができたの今後につながる走りになります。

 71.3kmの関門で終わっていたら、そこからペースを上げるという体験ができなかったわけですが、あそこで関門を通過できたことで、この限界状態でもまだペースを上げられる可能性があることを体験できたのは、今後につながる大きな収穫です。

 そして、79.5kmの関門まで残り200mくらいのところで、後ろから来た収容バスのスタッフに声をかけられました。

 「関門閉鎖時刻を過ぎたので収容バスに乗ってください」

 80kmを超えることはできませんでしたが、ほぼ80kmを走って、初挑戦の四万十川ウルトラマラソンは終了しました。

 完走できなかったのは、練習量が足りなかったからでしょう。

 十分な走り込みができないままの挑戦となりましたが、それでも約80kmを走った自分を褒めてあげます。

 ウルトラマラソンはもう今回で終わりにしようかとも考えていました。

 しかし、このまま終わって自分が納得できるのか。

 全く歯が立たなかったのならあきらめもつきますが、あと少しペースをあげられていたら完走が見えていたことを思うと、もう一度挑戦したいなと思います。

 今回の経験を活かして、来年は完走できるように1年間鍛錬します。

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